人間の気持ちに訴えかけるiPad
iPadで出来る革新的なことは、他のモバイルコンピュータでも十分可能。でも、それをやろうとした人はいなかった、いても誰もすごいと思わなかった。iPadでやると賞賛される。そこがポイントであって、「器」の大事さを語っている。
めちゃくちゃ美味しいご飯があったとして、それを茶碗で食べる。一方、オシャレなレストランで平皿に乗せられて運ばれて来たご飯を食べる。旨さは同じだろうか?最終的にインプットするのが人間である限り、人間の感情によって事象は変化する。
感情を高揚させ、期待させる。このレストランであれば、旨い飯が出てくるに違いない。美味しく食べられるに違いない。そういう期待感をもって、食べたご飯はやはり旨い。そんな気持ち良さを作る。コンピューティングも同様のことだ。
机に向かってキーボードを叩く、というのは誰もが重苦しくて暗いイメージを抱いていた。パソコンを起動して、アプリケーションを開く、一連の動作は事務的で、面倒だと感じられていた。それはMacもやはり同様であった。そのスタイルを変えたのは、携帯電話というモバイルコンピュータだったが、携帯電話で複雑なコンピューティングを行うには、結局面倒な操作が伴った。それは、電話用に設計されたコンピュータであった。
iPadは上記のようなことを変えた。気軽に、楽しく、使えるコンピュータとしてiPadを作った。それは薄型で、タッチパネルで、非マルチタスクであった。それは、技術を駆使しているが、その技術を複雑化のためではなく、単純化のために使った。レスポンスを高め、ビジュアルで分かりやすいインターフェースを作るために使った。人間の気持ち良さのために。
通常、面倒だが、それしかないし、そうであるものと思い込んでいるので、それをそのまま使っている、という例は実際多い。しかし、そこに人間のストレスは必ず存在している。人間が気持ちよく生活できるための発想、人間の気持ちに訴えかけるモノ、そういった思考が重要であることを改めて認識する。



