Posts Tagged ‘Apple’

May
09

人間の気持ちに訴えかけるiPad

iPadで出来る革新的なことは、他のモバイルコンピュータでも十分可能。でも、それをやろうとした人はいなかった、いても誰もすごいと思わなかった。iPadでやると賞賛される。そこがポイントであって、「器」の大事さを語っている。

めちゃくちゃ美味しいご飯があったとして、それを茶碗で食べる。一方、オシャレなレストランで平皿に乗せられて運ばれて来たご飯を食べる。旨さは同じだろうか?最終的にインプットするのが人間である限り、人間の感情によって事象は変化する。

感情を高揚させ、期待させる。このレストランであれば、旨い飯が出てくるに違いない。美味しく食べられるに違いない。そういう期待感をもって、食べたご飯はやはり旨い。そんな気持ち良さを作る。コンピューティングも同様のことだ。

机に向かってキーボードを叩く、というのは誰もが重苦しくて暗いイメージを抱いていた。パソコンを起動して、アプリケーションを開く、一連の動作は事務的で、面倒だと感じられていた。それはMacもやはり同様であった。そのスタイルを変えたのは、携帯電話というモバイルコンピュータだったが、携帯電話で複雑なコンピューティングを行うには、結局面倒な操作が伴った。それは、電話用に設計されたコンピュータであった。

iPadは上記のようなことを変えた。気軽に、楽しく、使えるコンピュータとしてiPadを作った。それは薄型で、タッチパネルで、非マルチタスクであった。それは、技術を駆使しているが、その技術を複雑化のためではなく、単純化のために使った。レスポンスを高め、ビジュアルで分かりやすいインターフェースを作るために使った。人間の気持ち良さのために。

通常、面倒だが、それしかないし、そうであるものと思い込んでいるので、それをそのまま使っている、という例は実際多い。しかし、そこに人間のストレスは必ず存在している。人間が気持ちよく生活できるための発想、人間の気持ちに訴えかけるモノ、そういった思考が重要であることを改めて認識する。

Jan
05

Less But Better。ディーター・ラムス展を見てきた

drt1

LESS BUT BETTER。削ぎ落としてより良いものを創る。それはデザインの本質ではないか,とさえ思う。

ドイツ・バウハウスの機能主義の流れを汲むディーター・ラムスは,ブラウン社に所属しながら,ともすれば複雑化に向かいやすい家電製品のデザインチームを,エンジニアチームと密に連携をとりながら,シンプル化を図る努力を重ねたという点で,大きな功績を持っていると言える。

私は深澤直人の「無印良品」や「±0」のデザインに大変感銘を受けたし,もっと言えば,Appleの「iMac」や任天堂のコントロールパッドに対する考え方も,自分のデザインへの向き合い方の一つの根源となっている。それらは意図してかそうでないかに関わらず,全て機能主義の継承者であることは確かである。

デザインはアートではない。大量消費社会において,同質的製品の差別化を図り,最も人間と製品とのコミュニケーションを上手にとれたものがその覇者となるのであって,それは工業製品のプロダクトデザインであれ,広告などのグラフィックデザインであれ,同じことである。我々人間が求めているもの,それにマッチするデザイン,そこに産まれる安堵感。それが機能主義であると言えると思う。デザインは主張せず,しかし確かに存在しなければならず,あたかもそれが当然のごとくそこにあったかのように振る舞うことが正しい道だと思う。

今日,数々のディーター・ラムスらのデザインを見るにつけ,その無駄のなさには驚かされる。必要であるからそういう形をしていて,しかも美しく,まとまっているのである。それは,まさに,機能とデザインの双方から歩み寄るように手を取り,その手がカッチリとハマるかのようである。

なぜ工業製品は複雑化に向かうのか。こんな話を聞いたことがある。なぜテレビのリモコンはボタンが増えるばかりで,減ることはないのか。それは,ボタンの各部品メーカーへの発注量を維持し続けるためだ。機能を増やすと,ボタンが増えても減らすことは下請けメーカーに申し訳ないからだ,というわけである。

それが本当かどうかは知らないが,人間は変化を恐れ,慣例や前例に従っていると安心できる生き物だ。それが利潤追求を目的とする企業ならば,なおさらリスクを低減したいであろうし,集団で何かの意思決定をする際には異端の意見は滅されやすいことは確かである。

だから,削ぎ落として単純化を図るという行為そのものが発生しにくい事態であるし,単純化というのは複雑化よりもよっぽど難しい作業で,何を残して何を落とすかという選別に最大限の注意を払う必要が出て来る。それは多大なリスクと労力を必要とする行為なのである。

だが,我々はそれを望んでいる。製品デザインは製品と人間のコミュニケーションであるが,人間と人間のコミュニケーションでもある。自然界のものを我々は,どうすればいいのかと悩むことはない。食物があれば我々は食すのである。ところが工業製品は人工的に生み出されたものであるから,その製品の作り手と使い手の間には思考のギャップが必ず存在するのである。それらのギャップを埋める作業をするのがデザインであって,それらは何も考えずに使用できるのが理想である。取扱説明書を読まなければならない携帯電話なんてうんざりなのだから。

機能主義。本当は,デザインの根底に必ずあるべき考え方だろう。しかし,ともすれば見失いがちなのもまた事実だ。これを機会に,ディーター・ラムスが私の後ろで常に目を光らせていると思って,デザイン作業を進めてみたい。もっと洗練されたものが出来上がるだろうか。

Sep
22

iTunes 8.0のビジュアライザはMagnetosphere

iTunes 8.0から導入された新しいビジュアライザについて。

デフォルトのビジュアライザについては私の知る限りではずーっと同じの(8.0のClassicビジュアライザというのがそれ)だった。というか開発陣は手を加える気もないとさえ思えた。それが何を思ったのか急に新しいビジュアライザを導入したものだから,どんなすごいのができたのかと思ってビジュアライザを起動してみた。

そしたら,「これ見たことあるじゃん。ていうか,俺のiTunesこれ入ってるけど」てな具合に。何を隠そう,かの有名なビジュアライザ,「Magnetosphere」に手を加えて導入されたもののようである。私のMagnetosphereとの出逢いは,SofmapでMacを見ていた時のこと。iTunesが動いてるのだが,「同じiMacなのにベラボーに美麗な画面だなぁ」と思い,なぜかと思えばビジュアライザがめちゃくちゃ美麗だったからである。そのiTunesをちょこちょこいじって知ったビジュアライザの名前がそれだった。

その後,「Magnetosphere」でググれどもググれども暮らし楽にならざり,見つからざり。作者のウェブサイトは存在していたがダウンロードできなくなっていた。なんで急に消えたりしたんだろう?なんて怪訝に思いながらも,某サイトでなんとかそのファイルを見つけてダウンロードしてインストールした。それのキレイなこと,すぐにビジュアライザをそれに変更した。いきさつはだいたいこんな感じである。

そしてiTunes 8.0の登場。新しいビジュアライザというから見てみると,デジャヴュー状態。なんのことはない,Magnetosphereの作者がAppleに売ったようである。Appleって何でも取り込んで自分のものにしちゃうんだなぁって思った。そのやり方が悪いとは言わないけど。何を取り込んで何を取り込まないかの判断がちゃんとできてるからそれはそれでアリだと思うし。もともとUNIXを取り込んでMacOSにしちゃった会社だし。シリコンバレーってそういう文化なのかも知れない。技術のM&Aといったところか。


iTunes 8.0から導入されたもの

iTunes 8.0から導入されたもの

本家Magnetosphere

本家Magnetosphere

>
  • PickUp

    Mr.Children DOMETOURレポートはこちら
  • Icon

  • Profile


    pima / bug
    80年代生まれのA型。関西人。身長は低いよ。
  • Twitter

  • BLOGPARTS