
劇団四季『オペラ座の怪人』を観た。前から観たかったのだが、タイミングとか色々でやっと観た。映画版のは以前に観たのだが、途中で眠くなって寝てしまったという経緯もあって、今回寝てしまわないか心配だったが、その心配は見事に裏切られ、一睡もする暇もなく終幕を迎えたのであった。思い切ってS席をとって正解だったと言える。
「究極の恋はあなたの中で燃え続ける」とは、リーフレットに記載のコピーだが、ファントムの恋は「究極の恋」だという。この話、知っての通り、言ってしまえばストーカーと脅迫まがいの事件なのだが、ファントムの心にひそむ闇を考慮すれば情状酌量どころかが恩赦がつくぐらいということのようである。
「究極の恋」とは何であるか?このストーリーが多くの人を魅了し、なおかつファントムへの同情を買ってしまう理由とは何であろうか?身体的に相手をどれだけ自分の手中に収めたとて、精神まではものに出来ない。「本当の愛」は手に入れられず、結局恋は恋でしかない。それこそが「究極の恋」?もっと言えば「極限の恋」なのかなぁという気はする。
クリスティーヌ(怪人が恋する女性)が言うように、醜いのはファントムの顔ではなく、ファントムの心なのだが、その心に変えてしまったのはまぎれもなく顔なのだろう。人間の心というものはふとしたことで長方形にもなったり円錐にもなったりする。そういう怪人を扱いこなしてこその恋だとすれば、我々にもまた、怪人は棲む。オペラ座のファントムを扱いこなし、人間の心にひそむファントムをも手なずけてしまったクリスティーヌに、観ている私も思わず恋をしてしまいそうになった。
少し余談だが、「劇団四季のオペラ座の怪人は凄いらしい。」っていうコピーがあるが、コレは凄いと思う。「〜は凄い。」だと、押しつけになるが、「〜は凄いらしい。」とするだけで、観た人の意見を伝聞したことになる。例えそう言った人が一人もいなくても。これは、今最も効果があると言われるクチコミによる広告を、キャッチコピーの一文で実現してしまったということになる。これは凄い。らしい。